井上水土里保全会について
【平成28年12月28日ラジオ放送】
担当者:井上水土里保全会 会長 下山田 嘉七
事務局 松浦 勝男
司会者:RFCアナウンサー
司会者
農家の皆さん、おはようございます。
今朝の土地連だよりは、「井上水土里保全会の取り組について」お話を伺いたいと思います。お話は、井上水土里保全会 会長 下山田嘉七さんと事務局 松浦勝男さんです。
初めに、井上水土里保全会の概要についてお話をいただけませんか。
担当者
(松浦)当保全会は、いわき市の南端に位置し茨木県との県堺で海岸線より約5kmの平坦な水田地帯です。
対象面積は101haで、南北に常磐高速道路が横断しております。気候は、気温差が少なく、稲作のほかネギの栽培も盛んな地域です。
司会者どういった経緯で本地区の活動がはじまったのですか。
担当者
(松浦)当保全会の中心となるのは、明治25年に水利組合として設立された、井上用水堰土地改良区ですが、東日本大震災を期に不具合が増え多面的支払交付金の指導を受けておりました。
ちょうどその頃、風評被害を解消する為に地元にNPO農業法人が、設立され活動を開始しました。
また最近では、ゴルフ同好会などの仲間組織が地区の行事や草刈などに参加協力をしてくれる様になって来ました。
これらの活動織組織団体が、ひとつにまとまったのが『井上水土里保全会』です。
司会者
取り組みの経緯はよくわかりました。活動内容をお話していただけますか。
担当者
(松浦)活動の一つとして、遊休農地をレンゲ草畑にして地元ミツバチプロジェクトと共同で、ハチミツを作ろうと活動をはじめました。
遊休農地は、地区のほぼ中央で10年以上休耕していた約20アールの田んぼです。
平成26年6月に3mほど延びたカヤの草刈や重機による木の伐採を行い、夏には耕起する事ができました。
司会者
レンゲ畑とはちみつのお話していただけますか。
担当者
(松浦)期待と不安の中9月にレンゲ草の種まき、翌年の4月末に見事なピンク色のレンゲ畑が出来ました。
しかし問題が発生しました。当時日本中のミツバチが死滅してしまう事件が起りミツバチプロジェクトも解散となってしまいました。残った巣箱は地元の農業高校が引取り世話をしましたが、残念ながら春になってもミツバチは活動しませんでした。
司会者
その後レンゲ畑はどのようになったのですか。
担当者(松浦)このままでは終れませんので、次の活用方法についてNPO法人を中心に話し合いが進められ、急遽いわき市初の『田んぼアート』に取組む事となりました。
司会者田んぼアートの状況などをお話いただけますか。
担当者(松浦)田んぼアートの企画全般はNPO法人が担当し、色付苗など技術面は農業高校で担当しました。苗は、古代米で種まきから発芽まで農業高校で育てられ、図柄も生徒達が話題の映画のフラガールの図柄を考案してくれました。
田んぼへの図柄の転写は、測量会社が座標を測量してくれ、案内ポスター等は、地区掲示板や商店が協力してくれました。
司会者田んぼアートの田植えの状況などをお話いただけますか。
担当者(松浦)田植えは6月に、老若男女およそ60名の参加で行なわれました。
小さな子供たちは、泥んこになりながら、お母さんと楽しそうに田植えをし、お年寄りは昔が懐かしいと横一列に並び田植えを満喫しておりました。
司会者田植え後の田んぼアートの状況などをお話いただけますか。
担当者(松浦)稲が生長するに従いフラガールの絵柄が鮮やかになると、建築関係の方々が物見台を作ってくれました。また、大学生が『よみがえれ日本の米』とロゴの入った大きな絵看板を作ってくれました。
収穫米は、わずかでしたが田んぼアートの写真を付けて、参加者や関係者へ配布しました。
今年は、第二回田んぼアートとして、市制50周年記念イベントに参加し50周年の記念マークを描きました。
司会者最後に今後の抱負などをお話いただけますか。
担当者(下山田)私達の地区でも他に地区と同様に農家の後継者不足や高齢化が進んでおります。
また、東日本大震災を期に農業離れが加速し風評問題も発生しました。
しかし、多面的機能支払交付活動の取組み取を行なう事により農業に対する意識改革や地区住民のまとまりが生まれました。これは地区にとって大きな財産になっていると思います。
今後の活動としては、活動の参加者や対象地区を増やし広域化さらには超寿命化に取り込み地域住民一体となって農業の維持活動を進めたいと考えています。
司会者今朝は、ありがとうございました。
今朝の土地連だよりは、「井上水土里保全会の取り組み」について、お話を伺いました。