西根の郷を黄金色に変えた西根堰

福島県中通り地方北部の阿武隈川左岸に広がる台地に点在する地域を、かつて西根郷と呼んだ。この土地は肥沃であったが、水の便が悪く稲作ができなかった。しかし古川善兵衛や佐藤新右衛門らの私財を投じた尊い志によって、黄金色の大地に変貌したのである。

どうして造られたの?

時は今から約400年前、天下分け目の関ヶ原の合戦の戦後処理により奥州会津仙道など石高120万石を擁した上杉景勝は羽州米沢及び奥州伊達・信夫30万石に減封された。
景勝は会津を引き払い米沢に移ったのであるが、越後春日山城以来の家臣団五千名を整理せず、そのまま召し抱えたため、藩財政は益々窮乏に落ちて行かざるを得ない状況となった。
農民からの年貢にも限界があり、新田開発による石高の増加を図る必要に迫られ、水田の用水を確保するために大利水工事をしなければならなかった。
このため、米沢藩主上杉景勝郷の家臣四郡役佐藤新右衛門らにより1618年に摺上川から取水し、西根郷に導水する工事が開始され、延長14キロメートルの下堰用水路が建設され、新たに400ヘクタールの水田が開発された。
さらにその後上堰用水路が計画され、1624年に工事が開始された。大変な難工事を経て、総延長29キロメートルもの水路が建設され西根郷は1,300ヘクタールの黄金色に輝く大地に変貌したのである。

とは…川から水を引き入れるために川をせき止める構造物

どんな苦労があったの?

この地方に水を引くことは800年も前から考えられていたが、とても難しく何度の失敗を重ねていた。現在のように測量機器や地図も無い時代で、土地の高低を見分けるのが最も難しく、苦心の末、導水可能な路線を見つけだすことに成功した。
土地の高低は夜に提灯を立てて調べ、水路を造るところを決め、土を掘り、その土を堤防に使いながら進められた。
西根上堰の工事では「取り入れ口の岩盤の壁」や「かたがりの難所」など岩盤がとても固く工事には大変な苦労があった。
それでも人の力により、下堰は350年ほど前、上堰は340年ほど前に飯坂の摺上川から水を引いて出来上がった。

産ヶ沢川と交差する下堰の写真

産ヶ沢川と交差する下堰

どんな施設なの?

西根下堰水路は、摺上川にかかっている十網橋の下流にある字八卦の淵より取水し、松原、成田、桑折、上郡、下郡、伊達崎などに導水しており、途中、米沢川、産ヶ沢川などと交差して河川の水もあつめながら、かんがい用水として利用されている。

産ヶ沢川と交差する下堰の写真

産ヶ沢川と交差する下堰

そのあとどうなったの?

建設当時の水路は土水路であったため、老朽化と水路勾配が不規則であったことなどから、下流部まで十分に水が届かなくなった。このため昭和35年から県営かんがい排水事業として、上堰水路の改修と、藤倉ダムの建設が行われ、さらにその後、下堰の取水堰と水路 の改修が行われた。
西根堰の水は農業用のかんがい用水の他、防火用水などにも利用され、また、大雨の時には、雨水が水路に入って下流に流れるため、道路などに雨水が溢れるのを防いだりしている。

下堰頭首工の写真

下堰頭首工

どこにあるの?

西根下堰は、福島県福島市の北部、飯坂町(飯坂温泉)にあります。

どうやって行くの?

車で

飯坂インターからR13、県道福島飯坂線経由で約15分

列車・バスで

JR福島駅から飯坂温泉行き福島交通電車で約30分 終点下車 徒歩5分

アクセスマップ


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水土里の案内人さ~ん!

申し込み先(伊達西根堰土地改良区)

水土里の案内人イメージ写真

〒969-1607 伊達郡桑折町字西段19
TEL:024-582-2319

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