土田堰のおこりと友松勘十郎氏興 忠彦・まめひこ神社

会津藩祖、保科正之は生前猪苗代の地を大変好まれ、死後はこの大地に葬ってくれと家臣に頼んだといわれ、その霊を祭るために土津神社を造営した。友松勘十郎氏興は正之公を祭る土津神社を造ることを任され、神社を永代守っていくためには田を開き、神社の神領として位置づける必要があった。そのために荒れ地だった摺上原という土地を開拓し、水を引くことを考えたのであった。

どうして造られたの?

保科正之公は、1643年山形より会津に移封され1669年まで26年間、会津に善政をしていた。正之公は生前会津の地を好み、猪苗代の地が非常に好きであった。
1672年5月に会津を訪れ、8月に猪苗代に来られ、見祢山に登り群臣と共にお酒を飲んで喜びあった。その時、湖や山を眺めながら、「私が死んだらこの見祢山に葬ってくれ、そして磐椅神社の末社としてくれ」、と家臣に頼んだのである。
保科正経公は、父正之公を見祢山に葬りその霊を祭る土津神社を造ろうと思い立ち、1673年家老であった友松勘十郎にその仕事を任せたのである。
氏興は土津神社を守っていくためには、田を開きそのいく分かを土津神社の神領とすることだと考え、次の殿様が変わっても土津神社を祭ってくれるようにするには、自分で田を作って村を造っていくことだと考え、荒れ地だった摺上原という土地を開田し、水を引くことを考えたのである。これが土田堰である。

土津神社の写真

土津神社

とは…川から水を引き入れるために川をせき止める構造物
磐椅神社とは…猪苗代町に古くからある神社(会津の三大神社の一つ)

どんな苦労があったの?

土田堰は今から約300年以上前に人夫35万人、金子1,000両をついやして、桧原川(今の長瀬川)の上流松留より、約12キロメートル余の水路を開削し、摺上原の荒れ地を開き200石の水田神領とした。

どんな施設なの?

土田堰は、檜原川(今の長瀬川)の上流にある松留(土湯沢温泉の下方)から取り入れ、長坂地内・見祢・土津神社下・磐梯青年の家の下をとおり、土田までおよそ12キロメートルの水路です。この水路は、土津の名にちなみ土田用水堰、開墾地は、土田新田と名付けられました。
この水路が出来る前は、村々では、磐梯山から流れ出る水をため池に貯めて、水田に利用していました。

土津神社前土田堰水路及び堰堤の写真

土津神社前土田堰水路及び堰堤

そのあとどうなったの?

土田部落が開村され、明治後期ごろは一戸平均1町歩でしたが、それから山林・原野などを耕し、生活をされていったそうです。大正の時代が過ぎ、昭和の時代になり、昭和35年土田地区土地改良組合ができ、いままで山林・原野・畑などを開田し、一戸平均3町歩まで田の広さも広くなり米もたくさんとれるようになりました。

どこにあるの?

土田堰は、福島県耶麻郡猪苗代の磐梯山南東麓の見祢山付近にあります。

どうやって行くの?

車で

磐越自動車道 猪苗代磐梯高原インターから約15分

列車・バスで

JR猪苗代駅からバスで九軒町角下車 徒歩10分

アクセスマップ


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水土里の案内人さ~ん!

高橋 二三雄さんの写真

案内人:高橋 二三雄(たかはし ふみお) さん
案内場所:福島県耶麻郡猪苗代町
説明可能人数:20人から50人程度
所要時間:1時間程度
申し込み先(事務所)
〒969-3122
福島県耶麻郡猪苗代町字新町4937
TEL:0242-62-4539
案内人からのメッセージ
春の花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪冷えてすずしかりけり…
そんな感じで四季折々の風情があります。

付近のみどころ

猪苗代町ホームページ(外部リンク)