大川より灌漑水を引き入れたうつろ堰

福島県会津盆地のほぼ中央に位置し、戊辰の役の白虎隊で有名な会津若松市西南に隣接する小さな町です。
高橋徳元が私財を投じ、苦節28年余りの歳月を費やし完成させた「うつろ堰水路」の一部、約4キロメートル区間を管内の小学生に施設体験を実施している。

どうして造られたの?

高橋徳元は、家老富田氏の一族といわれ先祖は代々典医で葦名氏に仕えていた。しかし伊達政宗に敗北し柳久保村(柳窪)に移り住み農業に従事することになった。
この辺一帯は水の便が悪いので、これを改良するため慶長2年(1597年)馬越村の大川(阿賀川)より水を引き入れる事業を計画し、私財を投じ着手しました。

どんな苦労があったの?

馬越村の大川(阿賀川)より水を引き入れる計画を領主に願い出ましたが、折しも黒川城の大修理の行われている時だけに、要望は却下されました。
しかし、決意を新たにした徳元は私財を投げ打って遠大な事業を実施し、苦労を重ね28年の歳月をかけて成し遂げました。
平地を覆う雑木等が繁茂し、鳥や獣の住み家であり、柳や葦等の群生する原生林を藩に隠れて山をひらき、河川に石をつんで堀を造ったり、洞穴を掘ったりしての作業は非常に困難であったといわれています。

高橋徳元うつろ堰の碑の写真

高橋徳元うつろ堰の碑

どんな施設なの?

穂谷沢村から本郷村に至る七カ村(大石村・相川村・福永村・八重松村・大八郷村)の広汎な地域の水不足は7キロメートル以上のうつろ堰により一挙に解消され、約160町歩の田畑が潤い、農民の生活は豊かになりました。
※160町歩=160ヘクタール
1ヘクタール=10,000平方メートル

うつろ堰を体験する小学生の写真

うつろ堰を体験する小学生

そのあとどうなったの?

この堰は明治に入り水利組合法に基づき、用水堰普通組合として維持管理されていました。
昭和になると大川筋農業水利改良事業が岩崎堰を一本にまとめ、馬越地内より取水する幹線水路より、各堰それぞれの必要量を分水する方法の計画を実施し、この三堰が連合会を設立して、その工事の促進に当たり、昭和25年完成しました。
また、昭和31年に組合を合併し会津大川土地改良区を発足し、かんがい・排水施設の保全管理に当たっています。

徳元堂の全景写真

徳元堂全景

どこにあるの?

会津本郷町柳窪の丘上にうつろ堰の恩恵を受けた近郷民が徳元堂を建立し、その功績をたたえています。
また、うつろ堰の碑を柳西の山ぎわに、お堂と墓碑が建てられています。

どうやって行くの?

車で

会津若松ICから車で20分

列車・バスで

JR若松駅から会津本郷行きバスで本郷郵便局前下車、徒歩で約10分

アクセスマップ


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水土里の案内人さ~ん!

高橋 幸喜さんの写真案内人:高橋 幸喜(たかはし こうき) さん
案内場所:福島県大沼郡会津本郷町
説明可能人数:1人から30人程度
受入期間:4月上旬から12月初旬
所要時間:1時間程度
申し込み先 (自宅)
〒969-6131
福島県大沼郡会津本郷町大字大石字柳窪前302
TEL:0242-56-4322
案内人からのメッセージ
長靴、軍手、動きやすい服装をお勧めします。

付近のみどころ

会津美里町ホームページ(外部リンク)