矢吹原土地改良区の紹介について

【令和4年9月21日】
担当者:矢吹原土地改良区 事業係 沼田 亮
司会者:rfcアナウンサー

司会者おはようございます。「農家の皆さんへ」の時間です。
今朝は、土地連だより をお送りしましょう。お話は、矢吹原土地改良区 事業係の 沼田 亮 さんです。
沼田さん、おはようございます。

担当者おはようございます。本日はよろしくお願いします。

司会者今朝のお話は、矢吹原土地改良区についてご紹介いたします。
初めに、矢吹原土地改良区について、ご説明をお願いします。

担当者はい、矢吹原土地改良区は天栄村にある「羽鳥ダム」を水源として、白河市の大信地区、泉崎村、矢吹町、鏡石町、須賀川市と天栄村の一部、6市町村にまたがり農業用水を届けています。

司会者矢吹原土地改良区の事務所は矢吹町にありますが、田園の町としても有名ですよね。

担当者はい、矢吹町は昔「矢吹ヶ原」と呼ばれる荒れた土地で、野鳥の雉などが闊歩する狩猟地でした。水源もないことから農作物もできず、非常に貧しい土地でしたので、歴史にある「天保の大飢饉」など大きな飢餓の被害は甚大だったようです。
そのような中で、ダムを造り、水のない矢吹ヶ原へ水を引き、豊かな地へ開拓する構想がありました。矢吹町がまだ村であった時代のことですが、将来を担う子供たち、そしてさらに未来の子供たちが、飢えることなく、豊かに暮らせるようにと、そんな思いによるものでしたが、当時はあまりにも壮大な話しだったので、この計画がすぐに採択されることはありませんでしたが、根気強く、何度も国への陳情を重ねた結果、昭和の食料増産政策の際に、やっと日の目をみることになりました。
水源としてできた羽鳥ダムは、太平洋戦争を挟んで造成されましたが、当時としてはかなり大規模な人員、物資、機材が投入されたようです。当時の農林水産省の予算規模から、青森県の十和田市、宮崎県の川南町と並んで日本三大開拓地とされています。この開拓事業により雉が闊歩する荒れた土地の町から、春には緑、秋には黄金色に染まる田園の町へと変わりました。

司会者国営事業により町は発展してきたわけですが、このような町の歴史や時代背景を伝えていく取り組みも、土地改良区では行っていますよね。

担当者はい、地元小学校の生徒さんや地域の団体を対象に、羽鳥ダムや土地改良区が管理する施設の見学会や、私たち職員が直接小学校にお邪魔して、矢吹ヶ原の歴史や、羽鳥ダムから自分たちが住む地域の田んぼに農業用水が届く仕組みを伝える「出前授業」を実施しています。
羽鳥ダム、羽鳥疏水の経緯を考えると、町を作ってきた先人たちの思いを未来へ繋いでいくのも私たち土地改良区の役割です。私たちの水は、未来にも向けて流れているものと思っています。

司会者子供たちや非農家の方が、農業に関心をもつきっかけになるといいですね。土地改良区では他にも一般の方へのPRも行っているようですね。

担当者はい、多くの方に羽鳥ダムを知っていただくため、「ダムカード」を作り配布をしています。
矢吹原土地改良区の事務所では、昨年度から羽鳥ダム完成65周年記念として、羽鳥ダムが完成した当時のモノクロ写真と、矢吹原土地改良区の公式キャラクター「水端 れい(みずは れい)」とコラボしたデザインのダムカードを配布しています。
道の駅「羽鳥湖高原」では羽鳥ダムを上空から撮影した、全景写真を使用したデザインのカードを配布しています。

司会者県内の土地改良区でマスコットキャラクターがいるのは珍しいですね。

担当者はい。看板娘として土地改良区の広報を担当しています。私たち職員よりも、れいちゃんの方が人気がありますね。ダムファンをはじめ多くの方に、私たちの大切なダム、疏水を好きになってほしいと思っています。みなさんからの応援は、私たち土地改良区に勇気をくれます。

司会者土地改良区でもいろいろと苦労があるようですね。

担当者はい。3.11大震災以降、震度5クラスの地震災害、台風災害、基幹施設の破損など、ほぼ毎年大事故が起こっていて、職員も心が折れそうになります。そんな時は地元の小学生や、ダムファンの方の応援が背中を押してくれます。土地改良区の仕事は多くの人たちとの思いでできていると実感します。

司会者土地改良区の最新情報については、どこで知ることできますか。

担当者矢吹原土地改良区ではホームページと公式ツイッターを運用しています。興味のある方はぜひ公式ツイッターのフォローをお願いします。

司会者今朝のお話しは、矢吹原土地改良区 事業係の沼田 亮さんでした。ありがとうございました。

担当者ありがとうございました。