「戸ノ口堰土地改良区の紹介について」
【令和6年11月20日】
担当者:戸ノ口堰土地改良区 事務局次長 高野 豊
司会者:rfcアナウンサー
司会者おはようございます。「農家の皆さんへ」の時間です。
今朝は、土地連だよりをお送りしましょう。お話は、戸ノ口堰土地改良区 事務局次長の 高野 豊(たかの ゆたか) さんです。
高野さん、おはようございます。
担当者おはようございます。本日はよろしくお願いします。
司会者今朝のお話は、戸ノ口堰土地改良区についてご紹介いたします。
初めに、戸ノ口堰土地改良区について、ご説明いただけますか。
担当者はい、当土地改良区は、主に農業用水の維持管理調整を行っています。受益地は会津盆地のほぼ中心部にあり、主に猪苗代湖から流れる阿賀野川水系日橋川から取水しています。会津若松市・湯川村の1市1村にまたがっており、面積は1283haほどあります。地区の約9割は水田整備済みで、ほ場整備事業による大区画化が完了した農地が約60%を占めています。現在も県営農地中間管理機構事業の農地整備を2地区実施中です。そのほか戸ノ口堰小水力発電事業として市内一箕町で発電所が稼働中で、現在工事をしている河東町六軒浄水場近くの発電所が来年に完成しますと、2カ所での小水力発電となります。発電事業に農業用水を利用していただき、その収益の一部を得ることで、組合員の負担軽減にもつながっています。
司会者続いて、戸ノ口堰の歴史についてお話しいただけますか。
担当者はい、戸ノ口堰の歴史は古く、1623年、今から401年前の藩主蒲生氏郷公の時代の開削に始まります。猪苗代湖にある十六橋のたもとから開削が進められ、農地や新しい村が増えていきました。約70年の年月をかけて若松の城下まで約31キロに及ぶ長大な水路ができましたが、その後の1800年代には、堰の幅と深さを広げて水量を安定させる大改修工事が行われました。その時に飯盛山付近は崖崩れで水路が頻繁にふさがってしまったので、トンネルを掘って通水させる大工事も併せて行われました。人力による工事で3年ほどかかったわけですが、大変難工事だったと思います。
司会者先人のご労苦が伝わってきました。この飯盛山の洞窟は戊辰戦争の時に白虎隊士がくぐったと聞いておりますが。
担当者はい、慶応4年(1868年)8月23日に、会津戊辰戦争の戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊が逃げ帰ってきて、この弁天洞窟に水が流れるなかをくぐり抜けて山腹にたどり着き、黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て絶望して自害したという悲しい歴史があります。昭和50年代には県営かんがい排水事業でコンクリート舗装の水路やトンネルに変わって現在に至っていますが、当時のままの状態が見ることができる箇所を残してあり、毎年9月末に地元小学生の歴史の授業などで実際に見学してもらいながら、先人の苦労や水の大切さなどをお話する洞門くぐりというイベントを行っています。
司会者普段見ることができない洞門くぐりを楽しみにされている小学生さんも多いことと思います。戸ノ口堰の水はこのトンネルを通ってどこまで流れているのでしょうか。
担当者はい、下流の農地にはもちろん必要不可欠ですが、鶴ヶ城のお壕の水や御薬園という庭園にも使われています。そして一級河川の湯川まで流れて、湯川の途中にある湯川樋管という水門から再度取水して湯川村の田んぼまで水がかかっています。
また、この猪苗代湖の水は、途中2箇所の浄水場にも使われていて、その水量は会津若松市の水道水の約半分にあたる量だそうです。その他、東京電力の水力発電所3箇所にも使用されています。
司会者大切な水を管理されているんですね。
担当者はい、おいしい会津米が沢山とれるこの大切な湖水に感謝して、施設の維持管理に努めています。猪苗代湖近くの猪取頭首工は、遠隔操作システムにより取水量を調整していますが、昨今の大雨による急激な増水に対応するため、現在は取水量の自動調整機能を追加して安全で安定的な用水供給を行っています。その他の水門もこれからは電動化と遠隔制御が必要になると考えています。市内の水路は、会津若松市役所と共同で管理を行っていまして、ゲリラ豪雨などの際などは連絡を頻繁にとりあって対応しています。
司会者気候変動が激しい中での水路管理はとても大変だと思います。
今朝のお話は、戸ノ口堰土地改良区 事務局次長 高野 豊さんでした。
ありがとうございました。
担当者ありがとうございました。